志子思策文選

Zmatar/碇雷ナオキの著作集、と言ったところか。ガチ文章ばかりだから、趣味的な文章を読みたい方はディスプレイ室をよかったらどうぞ。

10年目の心

 2011/03/11 14:46:18:01

 「それ」はの突如として動き出した。それにより、あらゆる命が失われ、街は枯れ、人々は全く正氣を無くした。

 

 

 あの日から、俺達には10年の時が流れた。あの時小学生だった俺も、先日遂に高校を卒業した。長い、しかし惟えば短い、不思議な時の流れであった。個人の成長と同じように、街も再び命が宿り、住民の強き心と合わせてまた新たな形に成長して行った。再び市場が活氣に満ち、大多数の住民が笑顔で日々を送るようになった。

 では、大多数と言った裏の、逆に少数派の人々の精神は、果たして今、どんな状態なのだろうか。残念なことである、「それ」の呪縛の中に縛られ続けている人が確かに存在しているのだ。それも、パターンは様々であり、たった一つの対処法は存在していないのだ。それでも、たった一つ言いたいことがある。それは…

 

 

 貴方がた、いい加減自立しましょうよ!?

 うん、思うんだ。未だに、あの時苦しかったからとか、まだ支援が足りないんですとか、そう言って上さんが集めた税金とかからの義援金を集ろうとする人達。まじで何なん!?正直、ドン引き。震災で街の力が弱くて多少なりともサポートが必要なのは当然わかるさ。けど、もうあそこまで街が綺麗になったのなら後は自分たちでやるべきでしょ…。どうした、心まで弱くなってしまったのか。それで、昔大変だからって後これから自分たちはもう一切の労苦をせず過ごしたいと思うならおめでたいよ。はっきり言うと、ルサンチマンって奴だよ。

 そもそも義援金と言うのは、無償のものでは無い。子供でも消費税を、何より労働者の努力の一部を、日本中の老若男女が分け与えた巨大な富なのである。つまり、義援金等を受け取ることは、誰か不特定の人物の力に頼るということだ。故に、真摯な心で建設的にこれを扱わなければならない。自分たちの心的環境の充足だけでない、今後先にもそのまま役立つものを作るべきである。だが、それでも支援の力を頼りにしていいことはこうした最適限の「復旧」と今後の防災の分のみにすべきだと思う。更に自分たちの理想の生活を追い求める「復興」は自分たち自らの力で成し遂げるべきである。そのための備えすらも、支援を頼りにすることは、何も関係の無い人たちを連れて来てタダ働きさせることと同義ではないか。そこに、自分たちの魂で復活させたという誇りは持てるのだろうか。

 後もう1つ、俺が氣にして止まぬ問題がある。あの建築会社の利権狙いじゃないかと疑う程の要塞の如き堤防である。あの要塞によって、人々の心と海はほぼ完璧にその関係を断ち切ってしまったようにしか、俺には見えない。何故、完全に海を見えなくした。そんなに、海が嫌いになったのか。ならこんな所から離れればいいじゃないか。その選択肢すら取れずに、ただ震災のトラウマが暴走してしまい、結果あそこまでの堤防を建てた。まず、あそこまで高く作ったところで、次が来る時には既にボロボロになっていて意味がなかろう。それ以上に、肉眼で海の様子を確認出来ず、対応が余計に難しくなってしまわないだろうか。マイナス感情というのは、マイナスな結果しか産まないのである。この堤防を増築する金と技術、使うなら確実に来るとされている、南海トラフ津波予想地域に使うべきであると俺は思う。

  

 ここまで色々書いてきたが、結局言いたいことはただ1つ。人間は、最終的には何処まで行っても1人で、自分のことは自分で決着を付けなければならないのだ。やれ辛かっただの、やれ原発だの、ボランティアが来たからこそ復旧が進んだし、東電との問題を解決して行かなければならないのはそうではあるけれど、最後の最後は自分たちでやるしかない、この事実を受け止めて、動くならもう動くべきである。実際、ほとんどの人はもう自立して元氣になり、自分の力で先の日々を取り戻す… 否、これまで以上のものを作って行っているのだから。読んでいる皆でまだ騒いでる方、自分の力を振り絞るのだ!!今までなんだかんだ世話になったのだろう、恩返しをするのが義理ではないか。同じ宮城県の被災民だからこそ言おう。頑張れよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただしがある。まだ、否、一生生きている以上永遠に、失ったものを何処かで追い続け、前を向けない人がいる。彼らは人に縋って生きようとする弱者なんかでは無い。強くあろうとしても、心の不足を無くそうとしても、やり切れない人達なのだ。彼らに対して、我々他者は一切の介入は出来やしない。彼らもまた、自分だけでこの生きるだけの苦しみの中で生き続けなければならないのだ。そんな彼らに対してだけは、後ろから見守り続けるべきである。彼らが過去と折り合いをつけ、「真の復興」がなされるその時まではー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう金輪際震災についての話は公言しないぞ。